People In The Box 「海はセメント」
シングル「Calm Society」収録の「海はセメント」を聴きながら思ったこと。
海はセメント
ここ暫くは、People In The Boxのニューシングル、「Calm Society」を聴いている。
ジャケット写真は薄い青の奥に、微かに街並みが見えるというもの。裏は誰もいない高架下の線路の写真。
peopleのブログにて、波多野さんが「僕は「海はセメント」という歌を誇りに思っています。」「「海はセメント」の音像はひとつの理想に今までで最も近づくことができました。」と言っており、自信作だという事が分かる。
Wall,Windowは、「出来が悪いけど、愛おしい子供みたいな作品」という表現をしていた気がするので、それとはまた違った評価なのかもしれない。
自分も1曲目が一番好き。ジャケット写真は、1曲目の音像をそのまま視覚化したような感じがする。
話すことが苦手な人がいる。言葉だけで伝えきれないものを抱えてしまうとそうなりがち。
神経質とも言えるし、繊細とも言えるけれど、自分の表現したい事と、実際に言葉になって出たものとの差異に、凄く違和感を覚えて、苦しくなる。
こういう歌詞を書く人は、そういうタイプなんじゃないかなあと思ったりする。
空気公団の山崎さんの歌詞も好きなのだけど、波多野さんの歌詞も結構好きだ。
二人の違いは、波多野さんは歌詞を後から書くけれど、山崎さんは作曲と同時に書いていく。
どちらが良いという事も無くて、好きな方を選べばよいと思うけれど、波多野さんの方が、より印象的な歌詞に見える。
山崎さんの歌詞が、水彩のスケッチだとすると、波多野さんは印象派、クロード・モネみたいだ。
そう言えば、絵画の世界で印象派の代表はクロード・モネだけど、音楽で言うと、クロード・ドビュッシー。偶然、同じ名前がついている。どちらもフランス生まれで、モネの方が年上だけど、生きている時代も被っているし、必然的に歴史の流れがそっちに向かっていたのかも。印象派という表現は、本人たちからすると不服であったようだけど。
今でも、ロックのジャンルでも多様化され過ぎて、演奏している本人も自分のジャンルが何なのか把握していないという事は多々あると思う。別に、それで良くて、誰かが評論する際に、便利なように名前を付けているだけで、それ以上の意味は無いものだと思う。