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宮下奈都 「羊と鋼の森」 感想。

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この前、宮下奈都さんの「静かな雨」の感想を書いたのですが、今回は話題になってる「羊と鋼の森」について書いていきます。

 自分もこの作品で宮下さんのことを知って、「よろこびの歌」「終わらない歌」「スコーレNo.4」等々、他の作品に触れるきっかけになったので、思い入れも強くて、多分長文になると思いますが、目を通して頂けたら幸いです。本当に良い物語です。なるべく、核心に触れるようなネタバレは避けて書いていこうと思います。なるべく。

目次

 

あらすじ

 北海道の田舎の高校に通う外村は、ある日の放課後、調律師を体育館まで案内するように頼まれる。「調律」が何なのかも知らなかったが、初めてピアノの調律を目にして心を揺さぶられ、調律師を志すことを決意する。高校を卒業し、調律の専門学校を出た外村は自分が初めて出会った調律師の板鳥氏が所属している会社へ就職することになる。不安と迷いを抱えながらも、外村は調律師として一歩ずつ前へ進んで行く。

 

情景描写と静けさ

森の風景

宮下奈都さんの小説の大きな魅力の一つが、情景描写の美しさと静けさにあると思います。「羊と鋼の森」では、時折、外村君の心象風景としての森が描かれるのですが、どれも静かで美しいです。例えば、冒頭

森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。

問題は、近くに森などないことだ。乾いた秋の匂いをかいだのに、薄闇が下りてくる気配まで感じたのに、僕は高校の体育館の隅に立っていた。放課後の、人気のない体育館に、ただの案内役の一生徒としてぽつんと立っていた。

 冒頭から引き込まれていきます。物語の始まりは、外村君が夕日の差し込む静かな体育館で、板鳥さんの調律を眺める所から始まります。外村君の見ている風景の中に、時折、頭の中の森の風景が重なる。

 

きっと、冒頭のシーンが体育館だったから物語に引き込まれていったのかな、と思いました。小学校から高校まで、恐らく、誰もが体育館にピアノが置いてある風景を見たことがあって、人のいない体育館の静けさも想像できるはず。もしこれがコンサートホールだったり、個人宅のグランドピアノだったりしたら、その場面を思い描きにくい人もいるんじゃないかな、と。

 

宮下奈都さんは家族で北海道に山村留学されたらしく、その時の風景がこの作品になったのかなと感じました。そういえば、この前ツイッターで「大谷は打つから嫌い」みたいなことを書かれてて笑いました。

静けさ

宮下奈都さんの作品で描かれる風景は、どれも静かで、それは主人公の感じている静けさと同じものだと思っています。宮下さんの作品は、自分が今まで読んだものは全て一人称で描かれていて、そこで描かれる風景というのは、「主人公の目を通して描かれる風景」で、宮下作品の主人公たちが皆頭の中に静けさを持っているから、それを通して描かれる風景も静かに見える、ということなのかなと。

 

登場人物と諦め

宮下奈都さんの作品を読んで感じるのが、「人を愛している」ということと、「諦めを知っている方が強くて美しい」ということ。

「人を愛している」というのは、出てくる登場人物たちに皆どこかしら愛せる部分があるということ。「諦めを知っている方が強くて美しい」というのは、登場人物たちの多くが、何かを諦めて、それを受け入れた上で前に進んでいる人たちで、それを知らない人たちよりも、知っている人の方が佇まいが強く、美しく見えます。

 

「静かな雨」でこよみさんが諦めについて話していましたが、「羊と鋼の森」でも途中で諦めの話が出てきます。それは、また後で書くことにします。こよみさんの話は前の記事より。

asakara.hatenablog.com

ここから下は、各登場人物の魅力など。

板鳥さん

 外村君の人生を変えた調律師。その仕事ぶりは誰もが認める程だけれど、佇まいは淡々としていて、つかめない感じの人。外村君の目線で描かれる板鳥さんは、自分が会社の後輩になった後でも常に敬語で、新入社員の外村君のことでさえ、一人の人、調律師として尊重しているように感じます。

 

外村君へのアドバイス

「この仕事に、正しいかどうかという基準はありません。正しいという言葉には気を付けたほうがいい」

(中略)

「こつこつと守って、こつこつとヒット・エンド・ランです」

 と言った感じに、具体的なことは殆ど言わずに、心構えだけを伝える。後に、ある事実が分かることになるけれど、それも含めて外村君のことを心から信じているように見えます。

 

「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のように確かな文体」

板鳥さんが「理想とする音」として挙げた、原民喜の言葉。もしかしたら、これは宮下奈都さんの理想とする表現でもあるのかな、と思ったり。

 

ちなみに、板鳥さんについてはあまり多くが語られないですが、日本の、社長曰く「辺鄙な町」で活動していることについて、過去に諦めというか、受け入れたのかなあと。

「なんとなく、外村君の顔を見ていたらね。きっとここから始まるんですよ。お祝いしてもいいでしょう」

 

柳さん

外村君の先輩で、直接の師匠にあたる柳さん。社交的で例え話が好きで、明るい性格だけど、彼女の濱野さんが語るエピソードが「静かな雨」のユキスケの諦めに少し重なって面白いです。濱野さんは、こよみさんに似ているような。

 

前に向かう力。幾つかの発見によって、ヤナギは柳さんになった。ピアノを調律して音を作る、この世界に音を送り出す、その気持ちが柳さんをまっすぐに立たせ歩かせているのだと僕は思う。

 柳さんの過去のエピソードが語られた時に、ほんの少し世界が開けた感じがしました。それは本を読んで確認してほしいので、ここでは省略することにします。

 

秋野さん

実写化するなら松田龍平辺りがよいのではと思った秋野さん。

外村君にとっては、出会ってから暫くは「やなヤツ」に見えて、実際、多少なりとも嫌な部分がはっきりと描かれているのが秋野さん。

 

ただ、その奥に過去の諦めや家族への愛情、ピアノに対しての敬意があって、奥行きを感じます。

柳さんの台詞。

「意識してるかどうかはわからんけど、ピアノに関しては手を抜けないんだよ、あの人は。渋々ながらも、いい仕事をしちゃうんだろうなあ。ピアノに対して愛と尊敬があるんだ。ま、聞いたら、ないって言うんだろうけど」

 

佐倉姉妹

 双子の和音と由仁の二人は、物語の中で進行形で「何かを諦めて、受け入れて、進む」ということを体現していたように思います。ほかの人の諦めが過去のものである分、あとは作中で一番若いこともあって、少し活気というか、生気があるような。

 

外村君の成長

この物語は、一言でいうと外村君の成長の物語だと思うけれど、その歩いていく姿に突飛な才能など何もなくて、その一歩ずつゆっくりと迷いながら歩いていく姿に勇気づけられます。

 

そういえば、この前ちらっと感想を書いた「青の数学」の第2巻で描かれている皇大河の姿は、少し外村君と重なりました。青の数学はまた今度書きます。

asakara.hatenablog.com

 ゆっくりと

板鳥さんに「こつこつと」と教えられる以前から、外村君はそうしていました。入社してから暫くは、昼間の間は店の仕事をして、定時以降、誰もいなくなってから店に置いてあるピアノを使って、一人静かに調律の練習をする。6台あるピアノを順番に。6台目まで行ったら、また最初のピアノに戻る。

泳げるはずだと飛び込んだプールで、もがくようなこと。水をかいても、進んでいる実感がない。夜ごと向き合うピアノの前で、僕は水をかき、小さな泡を吐き、ときどきはプールの底を足で蹴って、少しでも前に進もうとした。

 

誰に言われるでもなく、こつこつと練習を繰り返し、家ではピアノ曲集を聴いて、少しでも何かヒントを得ようとする。そこには、自信なんてものは無くて、「迷う」こと、「考える」こと、「進もうとする」こと、それだけが淡々と存在している。その姿に本当に勇気づけられます。

 

語らない

外村君はあまり話さない。その代わり、頭の中にめくるめく色んな事が浮かんでは消えて、どうやらそれを口に出すと恥ずかしい事を自分で分かっているらしい。

きっと僕が気づいていないだけで、ありとあらゆるところに美しさは潜んでいる。あるとき突然、殴られたみたいにそれに気づくのだ。たとえば、放課後の高校の体育館で。ピアノが、どこかに溶けている美しいものを取り出して耳に届く形にできる奇跡だとしたら、僕はよろこんでそのしもべになろう。

 

あきらめと強さ

 あきらめのエピソードも出てくる。あきらめることと、受け入れて前に進むことはセットになると、強さになるのだと思います。

 

ただ、強さという部分では、元から、外村くんは自分で思っているよりも強い人だと思います。自分にとって、それが大切なことなら踏み出す勇気を持っている。

例えば、調律師になると親を説得した時、例えば、秋野さんに嫌味を言われて返した時。何かを諦められることも、強さなのかもしれない。

「あきらめないと思います」

声に出さずにつぶやく。あきらめる理由がない。要るものと、要らないものが、はっきり見えている。

 

大切なこと

成長の物語と書いたけれど、それは大切なことを見つけていく物語で、ヤナギが柳さんになったように、外村君も自分にとって大切なことを、自分であるために必要なことを見つけていく。

(中略)それでもこの仕事に希望があるのは、これからのための仕事だからだ。僕たち調律師が依頼されるときはいつも、ピアノはこれから弾かれようとしている。どんなにひどい状況でも、これからまた弾かれようとしているのだ。

 迷いながらも、物語の後半で外村君は自分にとって一番大切なことを見つけ出す。それが何かは、読んで確認してほしいです。

 

前へ進むための物語

 迷っている人、前に進みたい人に読んでほしい物語です。不安や迷いがあっても、前に進むためには、「考え続けて、足を踏み出し続ける」という単純なことしかできない。一発で状況をひっくり返すような手段なんてない。だけど、それは「誰にでも出来ることで、誰もが進んでいける」ということでもあって、勇気づけられます。

才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。

 

それでは。

 

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