あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

空気公団 「旅をしませんか」の歌詞と、何にもないこと。

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 空気公団の曲、「旅をしませんか」の歌詞について思うこと。
目次

 

 旅をしませんか

 2ndアルバム「こども」に初めて収録された後、空風街LIVE、ぼくらの空気公団、LIVE春愁秋思にも収録されて、2015年にシングルとしてもリリースされた。結構何度も何度も収録している辺り、多分空気公団の中でもお気に入りの曲なのだと思う。

 曲を流した瞬間に、時間がゆったりと流れる様な感じの曲。空気公団の曲にはどれもそんな感じはあるけれど、旅をしませんかは特にその感じが強い。

 以下、幾つかビデオ。


空気公団 旅をしませんか


 旅をしませんかのMV。「こども」は2003年なので、結構映像も古い感じ。


[EBS스페이스공감] 공기공단(空気公団) - 旅をしませんか (여행하지 않을래요?)


 韓国でのライブ映像。


旅をしませんか 要一起去旅行嗎  ~台湾/平渓線・日本/江ノ電編~


 こっちは新しい、2015年の旅をしませんか。
 

 何にもないこと

 旅をしませんかの歌詞には「何にもないよ」と言うフレーズが出てくる。


 すぐに朝が過ぎる
 それからでも遅くはない
 いつだっていいんだ
 なにもいらない
 僕には何にもないよ
 だからどこへでも行けるのさ


 「何にもない」こと。そして、「だからどこへでも行ける」こと。
2番でも


 今から迎えに行くよ
 窓は閉めた方がいい
 いつ雨に降られても
 いいように
 誰にも何もないよ
 だから何処へでも行けるのさ


 「誰にも何もない」こと。「だから何処へでも行ける」こと。

 何か、って言うと難しいけれど、例えば凄い力だったり。或いは、頭の良さだったり。逆に、病気とかかもしれないし、強い感受性だったり、何でもいい。それを「個性」と呼ぶのかもしれないけれど、そういうものが全く何もなくてもいい。何もなければ、どこへでも行ける。

 別に、何かを持っている事を悪いと言っている訳じゃないと思う。ただ、自分の持っているものをひとつひとつ手放していくと、最終的には「空っぽの自分」が残る。それは、とても寂しいかと言うとそんなことはなくて、「空っぽの自分」には、幾らでも好きなものを満たしていく事が出来る。寂しいのは空っぽの自分を寂しさで満たした時であって、空っぽなことそのものは、とても自由だ。

 僕にも、誰にも、本当は何もなくたっていい。空っぽでいい。空っぽのままで居ても良いし、気が向いたら色んな事でそれを満たしてみてもいい。

 
 ゆっくり変わっていくのは
 やわらかな風景と
 流れる雲みたいな季節と
 単純な人の心と
 何も見えない明日と
 ねえ
 ここにいる僕と
 旅をしませんか


 何もないまま生まれて、何かを手に入れた気になりながら、段々と身体も心も重たくなっていく。本当は、きっといつまでたっても「何にもない」が続いてる。本当は何処までも空っぽのままで行ける。旅が面白いのは、先が見えないから。明日のことも、季節の移り変わりも、本当は見えていない。誰かのことも、自分のことも。

 何にもないから、どこへでも行ける。いつでも。