あさから。

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People In The Box 「ダンス、ダンス、ダンス」の歌詞を考える。

 

 明けましておめでとうございます。
 特に、新譜と関係もないけれど、ダンス、ダンス、ダンスの歌詞について。

 

 

 ダンス、ダンス、ダンス




 People In The Box - ダンス、ダンス、ダンス


 アルバム「Ave Materia」収録。リードトラックで、ピープルのMVではおなじみのRYU KATOさんがアニメーションを担当。

 自分もピープルを好きになるきっかけの曲だった気がするので、印象に残っている。今回は、曲については触れず、歌詞の事だけ。


 音楽(芸術)のあり方



 ダンス、ダンス、ダンスの歌詞のテーマは、芸術、特に音楽に関してのあり方を歌っていると思う。

 歌詞の中で、「嘘」と言う言葉が出てくる。ちょうど、紅白歌合戦を見て「イマイチだな」と思い、何がイマイチなのか考えると、「嘘臭いからかな?」と思った。

 そこまで考えた時に、多分、自分の好き嫌いは嘘臭いか、そうでないかで決まっている様な気がした。



 LOCAL NATIVES - Who Knows Who Cares


 
 クラムボン - Folklore @ 頂2014


 例えば、ピープルは関係ないけれど、こういうのが好きだ。今まで、「空気感」とか「空間感」みたいな言葉を使っていたけれど、自分が好きな理由は「本当っぽい」からだと思う。「嘘臭くないから」でも良い。

 ピープルに関してだと、波多野さんがいつも「お客さんに誠実であるためには、まずは音楽に対して誠実であること」みたいなことを言っていて、それは多分「音楽に対しては嘘を吐いてはいけない」って言う、決意表明の様なものだと思う。

 
 歌詞




 ぼくは大勢のなか ただのひとり
 機械が上陸した青い海で
 同じ広告が何度も流れる
 網膜に強く焼き付いたLED
 はねつけられたら
 きみのプライド著しく傷つけられた

 愛がすべてというなら
 汚れひとつ許せないね
 土足厳禁の庭で息をとめるのかい?


 きみ、と言うのは昔のぼく(波多野さん)、もしくは不器用な表現者全般と言うことでいいと思う。

 大勢の中、同じ広告。ヒット曲というか、ヒットさせようとしただけの似た様な曲が溢れかえる。そういう曲では、大抵「愛が一番大切」とか、「あなたを永遠に愛し続ける」言っている。ぼくはもっと心から本当のことを歌おうとするけれど、相手にされない。愛が全てと言うなら、それでいいけど、どうするつもりなんだ?


 哲学者の友達はきびしかった
 遂にぼくを許してくれなかったけど
 嘘だけは絶対つかなかった
 ”ついていい嘘なんてあるわけない”
 死んでしまってからも
 ぼくはそれを誇りに思うよ

 どんな美しいひと
 じぶんの嘘に気づいていない
 超然としていたって
 あたまはからっぽさ


 ピープルの歌詞に出てくる哲学者は、イコール難癖をつけてくる面倒くさい奴みたいな意味だと思ってる。

 ぼくは本当のことだけ歌おうとするけれど、「もっと周りに合わせろ」とか色んなことを言われる。だけど、嘘はつかなかった。
 死んでしまってから、と言うのが「友達が死んだ」のか、「自分が創作を諦めた」のかどっちなのか迷う。

 自分自身でも嘘に気づいていない人ばかりだ。どんなに凄く見えたとしても、その形を本当に自分で望んでいるのだろうか。きっと、何となくでやっていることが殆どだ。


 風が止んだら 人が倒れる
 観客のいないドミノ遊び
 悲鳴が止んだら 鳥が笑った
 息吹き返す いくつもの産声
 森を突き抜けて立つ狼煙のようだ
 割れる喝采のなか
 さあ はなしをしよう


 一時期盛り上がったヒットソングも、時期が過ぎれば誰も聴かなくなる。簡単に消えて行く音楽と、いなくなる人々。
 そうして誰も居なくなったら、きっと初めて少しずつ本当のことをやり始める。或いは、人が居なくなる事で、漸く本当のことが目に見えるようになってくる。森は、森のままで本当は元気で騒がしくて静かだ。人が居ることで、そこに元々いた鳥も獣も、木々も何もかもが居なくなってしまっていた。本当は、そこに人が居なくても喝采が上がる。


 想像上の神の庭で
 だれもうまく踊れないよ
 超然としていたって
 あたまはからっぽさ

 ダンス!ダンス!ダンス!
 きみの孤独が 世界を救うかもしれない
 荒れ果てた庭で
 ひとり なかよく踊りましょう


 自分達で作りだした世界で歌う、演奏する。本当に正しい姿がどういうものなのか、誰にもわからない。とりあえず、そういう形を演じている。

 きみの作品や考え、それは誰の目にも耳にも届いていないかもしれないし、届いてもすぐに忘れられるかもしれない。だけど、きみの思う本当のことを続けることで、それがいつか森の中で、本当の姿で喝采をあびるかもしれない。

 今はこの世界(舞台・業界等)は人の手が入りつくして荒れ果ててしまって、自然の住人達(広告や紛い物に触れて居ない、歪んだ判断基準を持たない人々)は消えてしまったけれど、それでもお互いひとりでも続けよう。本当のことを。


 最新の波多野さんのブログ記事でも、少し近い事を言っている気がする。音楽を、今此処の点で考えるのを止めたというか。

 気紛れに更新するので、どの位書くかは分からないけれど、2017年も宜しくお願い致します。

 

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