あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

音楽の意味とは 感情と映像

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 音楽の力と意味について考える。

 王城夕紀先生の「青の数学」という小説がとても面白いのだけど、作中に「数学って何?」と言う台詞が登場する。自分は、読みながら数学を音楽に言い換えても近いことが言えそうだと思っていた。その内に、「音楽って何?」と頭の中で渦巻き出したので、思うところを書いていこうと思う。

 

 
 感情



 自分の中では、音楽には二つの方向がある。その内の、メジャーな方が感情を表現するもの。

 最近、大塚彩子さんという方のブログの「人が音楽を必要とする理由」と言う記事の中で、「音楽を聴くことで人は感情に触れることが出来る、音楽は、ダイレクトに感情にアクセスする力がある」と書かれていて、とても納得した。

 例えば、底抜けに明るい曲がある。曲調は明るいけれど、何処か悲し気な曲もある。何処までも、果てしなく暗い曲もある。そのどれも、存在する意味がある。明るい曲では心の一番暗い所に触れることが出来ないし、逆も同じだ。

 盛り上がることだけが音楽の意味では無くて、時には何処までも沈んだ気持ちになったり、或いは言葉では何て言えばいいのか分からない気持ちになる。そういう色んな感情を、音楽を聴くことでより明確に出来る。

 
 あとは、心のはたらき、流れを整えるのにも音楽の力は役立つ。

 心は、正常な人なら上がって下がってを繰り返す。上がりっぱなしだったり、下がりっぱなしだったりすると、躁や鬱と呼ばれる。

 上がったり下がったりは多少コントロールする事もできるけれど、基本的にはあまり逆らわずに、「今は下がってる時だな」とか思って無理に上げない方が良い。そういう、心が下がっている時には、明るい曲よりも少し暗い曲、自分の気分に合っている音楽を聴く方が良いらしい。

 それは、多分自分の感情を音楽を通して感じることで、安心出来るからだと思う。「自分は、今この感じなんだ」と思えると、少し安心する。安心すると、心は動きやすくなってくれるから、暫くするとまた上がってくる。そうしたら、また明るい曲を聴く。リラックス出来る様な曲、眠たくなるような曲、色々あるけれど、音楽を通してそういう感情に合わせることが出来るのだと思う。

 
 映像的



 クラシックにも、絵画でも印象派と呼ばれる人たちがいて、例えばクロード・ドビュッシーの曲を聴いていると、感情に訴えかけられる、と言うよりも何処か遠い風景が浮かぶ感じがする。

 音楽には、そういう映像的な感覚を表現する力もあると思う。視覚的な情報を使わないで、音だけ、或いは音と言葉で映像的なイメージを表現できる。

 個人的には、そういう音楽が好きだ。ミュージックビデオは素晴らしいものだけど、目を瞑って音が連れて行ってくれる世界に潜る方が楽しい。たまに歌詞解釈みたいなことをするけれど、本当は歌詞は「少しわからない」位が丁度いいんじゃないかな、と思っている。分からない中で、歌っている人の感じとか、入ってくる単語の一つ一つが音楽と合わさって世界を作る感じが一番気持ち良く感じる。


 あなたは、ここにいてよ



 あとは、どの音楽でも「あなたは、ここにいてよ」って言う存在の許容みたいなメッセージを持っていると思う。

 明るい曲がある。それを好きな人がいる。暗い曲がある。それを好きな人がいる。

 どんなに暗い音楽でも、意味の分からない音楽でも、それを鳴らしている人は「どこかに同じ感覚の人がいるんじゃないか」と思っているし、「ここにいていいよ」って思っている。

 自分が分からなくなった時、映画や小説の方へ行く人もいれば、音楽に居場所を見つける人も居る。それは、決して確かな足場ではないけれど、それでも音楽は誰に対しても「あなたは、ここにいてよ」って言っている。

 いつかは、自分で自分を見つけて、確かな物は無いと分かっても歩いていかないといけない。だけど、ある時期、何処もかしこも足元がおぼつかない時、音楽は少しだけその足場になってくれる。

 誰かと同じように、何かと同じように、ある音楽が自分にはもう要らないと言う時もある。以前の様に感動できないこともある。音楽そのものに何も感じなくなる時もあるかもしれない。それなら、それでいい。音楽は全てじゃない。ある時、誰かの全てだった音楽が、後にどうでもいいものになったとしても、その音楽は別の誰かに「ここにいていいよ」って言っている。

 
 「いつも、これで最後の別れになるんじゃないかと思ってしまうよ」
 彼女は、またおどけて微笑む。
 「いつだって、どの別れだって、みんなそうじゃない?」

 ―マレ・サカチのたったひとつの贈物 (王城夕紀)

 

 

マレ・サカチのたったひとつの贈物

マレ・サカチのたったひとつの贈物