あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

スランプについて考える。

 珍しく、音楽の紹介でも本の感想でもなく、思ったことを書いてみます。ひとりごと。

 スランプ

 多分、ここ暫くスランプなのだったと思う。思う、というのは確信が無いのと、(多分)今はもう抜けた感じがしているから。

 具体的な話を少し書くと、自分のバンドの「三月」という曲が出来て、その出来にある程度満足出来たことと、音源の作業も一区切りが付いた、ということで、やり切った感じがしていた。そこから、「次にどうしようかな」と色んな方向に考えが飛んで、当初はやる気に満ちていた。

 一旦アウトプットをやめて、色んな曲を聴くことにした。記事にも書いた中村佳穂さんの歌とか、青葉市子さん等。弾き語り系のシンガーの歌を沢山聴いて、「弾き語りの曲を作ってみよう」となる。

 それでピアノの練習をしたり、少しコピーをしてみたりしたのだけど、全っ然しっくりこない。驚くほどにしっくりこない。試しに曲を作ってみても、まったく良いと思えない。その辺りで、「あれ、何だこれ」となる。

 

作れない、訳じゃない

 曲が作れなくなった訳じゃなくて、幾ら作っても全然自分に響かなくなった感じがした。これは、知識とか技術の話じゃなくて、心が疲れてるんじゃないかなと思った。

 例えば、中村佳穂さんの曲も少しコピーしてみたのだけど、やればやるほど、センスを思い知らされるのと、特に弾き方に関して、自分に向いてないことが分かったり。他にも、技術的な部分で真似してみた人はいるのだけど、あんまりうまくいかなかった。

 他の人の歌を聴くとか、コピーしてみるのは良いことではあるけど、タイミング次第では自分が分からなくなるのに拍車を掛けてしまうみたいだ。

 色んな事が重なった結果、「とりあえず、可能な限り情報を遮断して、頭を空にしよう」と思う。起きて、仕事に行って、帰ってきて寝る間、なるべくテレビも本もスマホも見ないで、音楽も聴かないことにした。

 

自分を手放す

 その、メディア断ちをして今日で2日か3日だったのだけど、偶然近所で小中学生の演奏とか、歌を聴いて、聴きながら、演奏が崩れそうな辺りで「頑張れ」と思ってた。

 音楽って、ライブって何なんだろうとも思った。「頑張れ」って思うのは、音楽を聴いてる反応としては正しいのかな、とか。普段、スマホを見てるような時間も、暇を潰すみたく色々考えて、考えた結果、「どうでもいい!」と思った。実際、どうでもいいことばかりだ。

 夕方、6時半頃からピアノに向かって何となく歌い始めたら、昨日までの感覚が嘘みたいにしっくり来ていて、レコーダーのスイッチを入れて、1曲区切りの良い所まで行ったら一旦止めて、また次、という風に何となく気持ちが落ち着くまで録音していた。7時過ぎにレコーダーを見たら10曲録音されていた。

 何で急にそんなに出来たのか自分でも分からない。同じことをもう一回できるのかも分からない。ただ、「青の数学」という小説の中で主人公がスランプに悩む場面があって、そこから抜け出す時に思った言葉を思い出した。 

白紙を前に、鉛筆を進められなくなった。自分でどうにかしようとしたけれど、どうにもならない。ならば。

邪魔なのは、自分なんじゃないか。自分にはままならない何かが、二勝をもたらしてくれたのなら。問題を解かせてくれたのなら。

邪魔なのは自分で。

数学世界だけがあれば良い。

 

(王城夕紀 - 青の数学2)

 スランプって、つまり「自分の考える理想との乖離」だと思う。そして、その理想が曖昧なほど、高い所にあるほど、何をやっても「違う」ってなってしまう。

 ということは、邪魔なのはその曖昧な理想を作り出してる自分で、自分を手放してしまえば良い。自分を手放したうえで、弾いてる音と出してる声を、何となく良い方へ良い方へ導いてみる。そんな弾き方、歌い方をしてた。それで、出来てた曲を聴き返したら、すごく良いものになってた。

 それで思ったのだけど、何かを発想する時、自分の力に頼らない方が良い。自分の力に頼るとスランプに陥る。「自分にはどうしようもない」って認めて、「自分の中にある何か」を自由にさせてあげること。「自分の中にある何か」(名前をつけたい)を、自分自身だと思ったり、自分の力だと勘違いすると、また同じことになる。

 自分の中には「自分自身にはままならない何か」があって、それは自分の力じゃない。だから、コントロールも出来ない。

 そういえば、青の数学2ではずっとそんなことを書いてたな、と思い出した。ほんと、すごい小説だと思う。

 

 そんな感じで、スランプについて考える回でした。その内、曲が形になったらまたお知らせします。

 

 それでは!