あさから。

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宮下奈都 「静かな雨」 感想。

 

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このブログを始めた理由の一つに、「宮下奈都さんの小説の感想を書いておきたい」というのもあって、今日、1つ目を書いてみる事にしました。

目次

 

宮下奈都さん

 1967年生まれの女性作家。

今年、「羊と鋼の森」という作品が本屋大賞に選ばれて話題になりました。僕も羊と鋼の森を読んで好きになり、他の小説も幾つか買い集めて読んでいる所です。「よろこびの歌」「終わらない歌」は特に好きで、「羊と~」を含めたこの3作品に関しては、感想を書き出したらどれだけ長くなるのか分からないので、一旦整理してから書こうかな、と思っています。

 

静かな雨

デビュー作。文學界2004年6月号に収録されている作品で、第98回文學界新人賞佳作に選ばれています。単行本未収録のため、図書館へ行って、掲載されている雑誌を司書の方に頼んで取って来てもらって読みました。持ちだし禁止だったので、借りることは出来なかったのですが、コピーはOKとのことだったので、「静かな雨」の部分だけコピーさせて頂きました。

 

あらすじ

クリスマスの日。突然会社をたたむ事を知らされたユキスケは、会社を出た後偶然、パチンコ屋の裏にたいやき屋を見つける。とても美味しいたいやきにユキスケは感動して、つい店の女の子に「これ美味しい」と伝えてしまう。それ以来、新しい仕事が決まってからもユキスケはたい焼き屋に通う様になる。たい焼き屋の女の子は地域の人から慕われていて、「こよみちゃん」「こよみさん」と呼ばれていた。ユキスケもこよみさんと呼び、少しずつ親しくなっていく。

 

4月。こよみさんは事故に合って入院する。外傷は無いものの、意識不明のまま3ヵ月が過ぎ、7月のある日突然目を覚ます。身体はいたって健康だったが、記憶に障害があることが分かる。事故以前の記憶は残っているが、目覚めてからの記憶は一日経つと消えてしまう。ユキスケは目覚めた後のこよみさんと、変わらずに接していこうとするが・・・。

 

日常

初めて読んだ「羊と鋼の森」でも感じた事ですが、宮下さんの作品のゆったりとした日常の描き方がとても好きです。「静かな雨」でも、事件の前後の日常を対比して描いていて、登場人物たちが(テーマはあるものの)何でも無いような話を繰り広げていく中で、静かで優しい世界が広がっていくのを感じます。

 

宮下さんの作品は(今の所、僕が読んだ物は全て)一人称で描かれていて、作品に感じる日常の静けさや、ゆったりとした感じは、その主人公を通して描かれている時間が静かでゆったりとしている、という事だと思います。一つ一つの行動を丁寧に考えながら行うので、その目を通して見ている世界が静かでゆったりとしています。

 

迷う人 諦める人

まだ、読みかけのものを含めても6,7作品しか読んでいないのですが、宮下さんの描く登場人物たちは皆何かに迷って、何かを諦めているように感じます。

それは例えば「羊と~」の外村君であったり、「よろこびの歌」「終わらない歌」に出てくる女の子たちも皆それぞれに悩みと、諦めを持って生きています。

 

「静かな雨」では、こよみさんがあきらめについて話すシーンがあります。

 

 「もう半分は、あきらめの色」

足が悪いせいで何かをあきらめたことなど一度もない。その程度のことであきらめるようなことは最初からたいしたことじゃない、と思っていた。

 「あきらめを知っている人ってすぐにわかるの。ずっとそういう人たちを見てきたから。あきらめるのってとても大事なことだと思うわ」

 (中略)

 「でも、あきらめ方を間違えると、ぜんぶだめにしちゃうの。あきらめることに慣れて、支配されて、そこから戻ってこられなくなるのね。私のまわりにいた人たちも、今はもう、みんなばらばら」

 

 小学生の頃、ユキスケは地球の自転について学んだ日、自分が猛スピードでグルグルと回り続けている事が受け入れられず、暫くうなされた。しかし、その内にそれは変えることが出来ない事だと諦めることにした。諦める事を知った日から、身体の皮が分厚くなって何も感じなくなる様な、強くなったような気がした。

 

 「ユキさんはだいじょうぶだよ。あの人たちとは目が違ってる」

そうだろうか。僕はほんとうにあきらめなくちゃならなかったことを、地球の自転に肩代わりしてもらって生きのびてきただけだ。

 

「諦める事は、受け入れて前に進む事」というメッセージが、宮下さんの作品には込められている気がします。「静かな雨」では、ユキスケがこよみさんの記憶力が元に戻らないと諦め、それでも記憶じゃない何処かに経験したことは蓄積されていると信じて生きていこうとする。

 

「羊と~」の外村君は、昔絵をあきらめ、「あきらめたことが正解だった」と調律の道に進む事に決める。「よろこびの歌」で御木本さんはクラスメイトの原千夏に努力を超えた部分で「私の歌は千夏に勝てない」と受け入れ、「私は私の歌を歌おう」と前に進む。

 

寂しさ

宮下さんの他の作品と比べて、デビュー作のこの作品はとても寂しさが強いと感じました。他の作品でも多かれ少なかれそれはあるものの、それ以上に前に進む力だったり、ポジティブなものを感じていたのですが、「静かな雨」に関しては、ポジティブなもの以上に、寂しさを感じます。記憶を題材にしている、というのも大きな理由の一つだとは思いますが。

 

事故が起こる前の日常も、起こった後の日常も、傍から見ている分にはそれ程違いは感じない。ただ、事故が起こる前は経験した一つ一つの事が積み上げられて、それがユキスケやこよみさんの一部になっていったけれど、事故の後はユキスケの記憶だけが積み上がっていって、こよみさんの記憶は更新されない。

 

それでも、記憶が更新されなくてもユキスケとこよみさんは事故の前よりも確かに親しくなって、こよみさんの作るたい焼きの味は、事故の前よりも深みを増した。記憶以外の何処かに、確実に何かは蓄積されていて、だけど大部分はすり抜けて落ちていってしまう。その寂しさとポジティブのバランスがとても綺麗です。

 

博士の愛した数式

似た様なお話で小川洋子さんの「博士の愛した数式」と言う作品があって、「静かな雨」の中でもこよみさんが読んでいる小説としてチラッと出てくるのだけど、昔読んだ時にそれほど寂しさを感じなかった記憶がある。博士が老齢で、ルート君が少年だったことが大きかったのかもしれない。記憶の持たない博士を悲観的に描くのではなくて、そういうものとして、どう向き合うかが暖かく描かれていた記憶があるのだけど、読んだのが大分昔なので、今読み直したら感想が変わるかもしれないです。

 

「静かな雨」では、そう簡単には「そういうもの」なんて受け入れる事が出来ない、という部分から描かれていて、ユキスケの目を通しているから一層寂しさが色濃く映るのかもしれない。

 

オススメです。

読後感

図書館のソファに座って読んでいたのですが、読み終わった後、少し固まってしまった記憶があります。調度、今で言うと「君の名は。」を見て新海監督に興味を持った人が「秒速5センチメートル」を見たら近い感じになるのかなあ、とか。凄く静かで綺麗でゆったりとしていて、確かに宮下さんの作品なのですが、「なるほど、一番最初はここからだったんだ」と思いました。この寂しさがまずあって、それを一度飲み込んだ上での明るさなのかあ、と。明るさ、でいいのか分からないですが。

 

図書館

多分、大きな図書館に行けば昔の雑誌も置いている筈なので、宮下奈都作品好きな方で、まだ読んでいない方には是非オススメします。文學界2004年6月号ですね。「静かな雨」の隣のページの作品が、何かRIIIIとかYOとか、血とか大麻とか言っていて、落差が面白いです。

 

あと、関係無いのですが、個人的には自分のバンドのバンド名を付けた後にこの作品を知ったのですが、偶然「静かな雨」に近い名前を付けていて、何か縁を感じました。それはまた別の話で。

 

それでは、好きな部分の引用で終わりにします。今度は「羊と鋼の森」か、「よろこびの歌」のどちらかにしようかなと思ってます。

 

 「(中略)こっちもちょっと折れて飲みものも出すようにしたし」

飲みものって、あの、たんぽぽの根っこを煎じたコーヒー色の液体のことか。あれは今ひとつだな。売る気がないんだろうな、たぶん。たいやきに集中していたいんだろう。