あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

「君の名は。」と物語の可能性

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 昨日の続き。
 音楽が大量消費される時代に、もっと観客が体感出来る事を増やしていくのも一つの可能性だと思う。
 一方で、もっと「音楽を聴く」ことに重点を置いた方向に進めないかと考える。
 
 RADWIMPSと映画「君の名は。」が前代未聞な事と、音楽と物語にはもっと可能性があるのでは、と言う話。

 

 

 君の名は。」の前代未聞な所



 映画「君の名は。」の興業収入が200億円を超えて、日本だけでも観客動員数が1500万人を突破、海外でも次々1位を獲得していて、確かにそれ自体も凄い事だけど、個人的には別の部分が前代未聞だと感じている。


 

 RADWIMPS - 前前前世(movie ver.)


 前前前世の再生回数もうすぐ1億回なのか・・・。
 それはさておき、君の名は。の音楽はRADWIMPSと新海監督がかなり深く関わって作られている。例えば宮崎駿監督は久石譲さんの曲に殆ど口出しをしないし、一つの映画の中で4曲もしっかりした歌が流れるというのも珍しい。

 そして、RADWIMPSは最新アルバムの「人間開花」の前に、「君の名は。」というタイトルのアルバムを出している。その名の通り、映画のサウンドトラックではあるものの、映画の物語に沿って作られているから曲の流れはまとまっているのと、サウンドトラックと言いつつ、前述の通り歌モノの曲が4曲(バージョン違いを入れると5曲)収録されている。

 それで思ったのが、「君の名は。」を大雑把に表現すると、日本だけで1500万人以上がRADWIMPSのアルバムを通して、それもかなり集中して聴いた、とも言える。多分、歴史上そんな事は初めてだ。




 RADWIMPS - スパークル(original ver.)


 歌モノの曲も物語と一緒に記憶しているから、例えば前前前世があれだけヒットしたのも、曲の良さとか、映画に伴った宣伝の多さに加えて、物語の感動が曲にプラスされている、と言うのは確かにあると思う。

 ネットが出来て、スマホが出来て、音楽ツールも発達して、誰でも簡単に発信できるようになって、逆に簡単に捨てられるようになった。この前読んだエアロスミスのインタビューでも、そんなことを語っていた。


 「いまの音楽は使い捨てだ。はい、これって出しても、5分後にはもう別のものが出ている。俺らはジャスティン・ビーバーやニッキー・ミナージュとは違う。だから、残念だがアルバムは意味がない」


 そうした中で、昔と同じことをただ続けていても、単純に相対的に価値が落ちてしまうだけだから、やり方を変えていかないと行けないのだと思う。そして、昨日のワンオクの18祭みたいな、かなりガッツリ観客も参加するライブ、と言う方向性も一つあるかもしれない一方で、その対極の方向性として、物語性を強化していく、と言うのがあると思った。


 物語の可能性





 Bob Dylan - like a rolling stone


 この間、ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。歌詞に物語性を持たせたのは、彼が初めてだと聞いた。日本でも物語性を持った歌詞を書くバンドは結構居て、有名な所だとBUMP OF CHICKENとか、Amazarashi辺りだろうか。




 amazarashi - 無題


 この曲は、絵描きの物語。
 あとは、さだまさしの曲なんかは歌と言うより、物語にメロディを付けていると言う位に語る様に歌う。




 さだまさし - 療養所(サナトリウム


 この曲は本当に名曲だと思う。日本人は音楽と言うより、歌と言うか、語ることが好きだし得意なのだなあ、と思う。2006年のデータらしいけれど、世界中のブログで使われた言語の中で、日本語が一番多いという。語りたい人が多い。

 一方で、個人的には「歌詞の物語性は、音楽にとって邪魔ではないか?」と思っている。「語る」のではなく、音楽そのものを聴かせようとすると、どうしても言葉が邪魔になってしまう気がしている。それは、物語性の強い歌詞の曲を聴いていると、その物語の強さに引っ張られて、曲の世界が広がっていかない感じがするから。


 

 People In The Box - 気球


 そんな中で、People In The Boxは曲と歌詞で世界観を表現する事に特化した最右翼だと思う。そして、上の気球のPVを作ったRyu Katoさんとピープルが出会ったことは、一つの奇跡と言って良いくらいに音と映像が互いの世界観を補強しあっている。

 ただ、世界観は圧倒的なのだけど、物語性が強い訳ではない。それは空気公団もそうで、空気公団と言う世界はしっかりと存在しているけれど、そこに物語があるかというと、はっきりとした物語は無い。

 これから、体感と違う方向に向く音楽は、物語を強くしていくことがテーマになっていくのではないか、と思った。


 マレ・サカチとフレイムベイン



 最近読んだ、王城夕紀先生の「マレ・サカチのたったひとつの贈物」という小説があり、その中で物語がテーマとして出てくる。


 「人が求めているのは、物語だ。物語だけだ、と彼は言う。人は物語をまとって生きている。素敵な、自分を肯定してくれる、あるいは自分の現実を覆い隠して浸っていられる物語を求めている。他人も会社もサービスも商品も、全部その為の物語に過ぎない。現実に存在するかどうかは問題じゃない。人が信じて、触れて、心地よければいい。世論とは、勝ち残った物語のことだ」

 ― マレ・サカチのたったひとつの贈物 (王城夕紀)

 

マレ・サカチのたったひとつの贈物

マレ・サカチのたったひとつの贈物

 

 
 ネットが発達して、デバイスが小型化して、誰もが発信できるようになった結果、爆発的に物語が増えていったと思う。それは、漫画や小説だけでなくて、誰かが何かをするにしても、物語性を持って行動して、それに惹かれて別の誰かが集まり、また物語が生まれる。それを、簡単に発信できて、幾らでも受け取る事が出来るようになった。

 例えば、音楽で言うと歌っている、演奏している本人に物語性を持たせる、と言うのが一つある。
 インタビューで何かを語れば自動的に何かしらの物語は出来るけれど、もっと意図的に、その曲やアルバムに辿り着いた道筋を語ることで、少し奥行きが広がる。

 それとは別に、音楽と、別の物語を一緒に置いておく、と言うことも出来る。例えば、「君の名は。」はそれを大規模にやった例だし、Mr.Childrenの「くるみ」のPVなんかもそう。




 Mr.Children - くるみ


 あと、BUMP OF CHICKENの1stアルバム「FLAME VAIN」の歌詞カードは全部藤原さんの手描きだけど、1曲ごとに少しずつ絵とお話が描いてある。アルバム「orbital period」の歌詞カードは絵本みたいになっている。

 そのアルバム2枚がリリースされた頃には、スマホはまだ無かったと思うけれど、今の時代なら、もっと音楽と物語を絡めた表現が出来るし、リスナーもそれを受け取れると思う。エアロスミスが言っていたように、ただアルバムを作るだけでは、その相対的な価値と言うか、意味が小さくなってしまっている。

 だけど、音楽の絶対的な価値が落ちたとは思わないし、やり方はあると思う。ミュージックビデオだって、ビートルズが始めたのは媒体としてテレビがあったからで、今の時代においては、それよりもスマホの方が優位な気がしている。だとすると、もっと現代だからこそ出来る曲やアルバムのあり方みたいなものも、あるんじゃないかと思う。

 人も音楽も、出会いやすくなった結果、誰も彼も同じ顔に見えてしまってはいないだろうか、と思う。今の中学生はどう感じているのだろう。もし、Youtubeで音楽を聴き漁って、世界を知り尽くしてしまった感じになって飽きてしまうような事があったら、とても勿体ない。ミスチルの桜井さんがアナログ的な事に拘ってるのも、音楽だけじゃなくて、音楽と一緒に着いてくる感動を守りたいからで、ただ、それは難しい課題ではあると思う。例えば、自分はレコードがメインだった時代の感覚を知らない。

 それでも、まだやり方はあると思う。好きな音楽に出会った時に、素晴らしいと思える世界は素晴らしい。

 

 老妻は、言う。
 「靴は、これから何かに出会う人のためにある」
 自らの手にあるそれは、出掛けるその時を静かに待つ、世界で一番美しい靴に見えた。
 「貴方は何に出会えるんでしょうね。いつか、出会えるといいわね」

 ― マレ・サカチのたったひとつの贈物 (王城夕紀)