あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

音楽のストリーミング配信について、思うこと。

 自宅待機生活7日目。今日は、音楽のストリーミング配信について思ったことがあるので、それを書いていきます。

 ストリーミング

 もう、ここ数年でストリーミングで音楽を聴くのが主流になった。海外では、もっと前からそうなっていたけど、日本はCDがまだまだ強くて、比較的広まってくのが遅かった。それでも、流石に便利さに皆気づいたみたいで、CD買って聞く、って言うのも結構珍しくなってきてる感じがする。逆に、レコードの売り上げは伸びてるって聞く。

 音楽だけじゃなくて、映画とかドラマとかも。自分はアマゾンプライムと、Amazon Music Ultimatedっていうストリーミングサービスにも入ってて、動画も音楽もアマゾンに依存した生活になってる。DVDだって、昔は借りてきて観てたけど、今ならテレビでもスマホでも観れてしまう。便利。

 

分かろうとすること

 中学生の時、夜中ラジオを聴くことが多かった。正確に言うと、MDコンポ(MDって多分知らない人多そう)で録音したのを、次の日聴いてた。CD買ったり、借りたりするお金もあんまり無かったから、AM、FM問わず音楽が良く流れる番組を録音して、聴いて、気に入った曲があったらそこだけ編集して残しとく、みたいなことを結構やってた。

 CDも、家にあるやつを聴いてた。親が昔人から貰ったって言うMr.Chilldrenのボレロってアルバムを聴いて、ミスチル好きになり、それからたまーにCDを買って、暫く聴いて、新しいのを買う(もしくは借りる)、という感じ。

 あと、バンプオブチキンも。多分、同級生全員聴いてたんじゃないかって位、皆聴いてた。その時はユグドラシルが出たばっかりとかだったはず。

 

 昔話はさておき。その時と今とで、一番何が違うかって言うと、一つの音楽、もっと言うとアルバムを聴いてる時間が全然違う。

 自分の場合は、MDコンポに始まり、高校生の時にIpodの小さいやつを(英語の授業とかで)全員貰って、その後容量の大きいクラシックを買って、iPodnano、iPhone、という流れ。IPhoneとnanoは4,5年くらいは併用してたけど、今は完全にIPhoneだけの使用になってる。

 MDコンポ使ってた時って、まず聴けるのが家の中だけだし、今見たくスマホも無いし、漫画とか小説も大して読まない子供だったから、集中して聴いてた。繰り返し繰り返し聴いてた。

 

 例えば、中学生の時WaterColorsってユニットが深夜0時からSTVラジオで1か月間だけ番組やってて、その人たちの曲がすごい好きで、だけど、それから2年後位に、別のラジオ番組をやってる?って言うのをたまたま知って、親のパソコンを借りて、「これから毎週聴きます!」ってメール送ったら、ラジオ局の人から、番組が終了してる上に、WaterColorsは解散したってことを聞いて、結構落ち込んだ。

 で、その15年以上前に聴いてた曲を、未だに鮮明に覚えてるし、何なら歌詞も覚えてる。鍵盤で弾きながら歌える。「春霞」って曲。「元気でいると、風の便り」って歌い出しで。だけど、今検索しても、何一つ出てこない。ベースとボーカルって言うシンプルな構成で、イントロのチープな高音も、歌い出しの息多めな声も、焼き付いてる。

 それは、中学生って言う多感な時期って言うのもあるかもしれないけど、不便だったから、って言うのも大きい。

 

 今、Youtubeを開いたら色んな音楽が溢れてる。比喩じゃなくて、洪水みたいに。ストリーミングでも、そう。勿論、素晴らしい音楽も数えきれない位ある。まあまあ良い音楽も、そうでもないのも、ありとあらゆる音楽が、片っ端から聴いていったら死ぬまでに聴ききれない位ある。

 自分が今中学生で、スマホを持ってて、自由にYoutubeにアクセスして音楽を聴けたら。次から次へと色んな音楽を聴けて幸せかもしれない。けど、「本当は深く好きになれるはずだったもの」を見過ごしてしまうかも、と思った。

 

不便さと、信頼

 ここから本題。最近、People In The Box波多野裕文さんのソロアルバム、「僕が毎日を過ごした場所」を通販で買って、1日1、2周くらいのペースで聴いてる。People In The Boxもそうだけど、それ以上に何回も聴いていく内に、段々色んな所が好きになっていくアルバムだと思う。

 そういう音楽って結構あって、でも、今の時代向きではないとも思う。だから、波多野さんが頑なに手売りに拘ってるのも良く分かる。いつだったから、「聴いてほしいけど、それが今で無くてもいい」みたいなことを話していた。「早く聴いてもらうこと」よりも、「確かに聴いてもらうこと」を大切にしたから、そう言う売り方になったのだと思う。そして、間違いなくそれは良い結果に繋がってる。

 

 昔、「不便さ」によって、(無意識的に)「聴く努力」「分かろうとする姿勢」が強いられていて、今、それが無くなった。けど、その「聴く努力」とか「分かろうとする姿勢」が無駄なものだったかというと、そんなことは無くて。それを持っていた方が、きっと音楽から得られるものは大きくなる。

 それで、「不便さ」が無くなってしまった以上、今、なるべく確かに聴いてもらう、深く聴いてもらうには、「信頼」しかない、と思った。「この人の音楽なら、1回聴いてよく分からなくても、きっと何度も聴いているうちに好きになる」って言う、信頼。

 

 あと、「1回聴いてよく分からない」っていう位の方が、後々、深くハマったりする。1回聴いて「良いな」って言うのは、自分の中にベースがあるから、「大好き」までは行くけど、それ以上にはなれない。最初分からないものって、自分の中にまだ無いベースで出来ていて、聴き続けるうちに、それが自分の中に入ってくる。新しい何かが組みあがる。その時、「大好き」を越えて「価値観を書き換えられる」って言う所まで行ってしまう。

 勿論、タイミングとかもあると思う。今、音楽に出会う機会自体は爆発的に増えてるから、結果、深く聴かれることも増えてるのかもしれない。ただ、1回スルーしてしまったら、その後再び聴くことも少ないはず。

 

おわりに

 長くなったけど、そもそも、波多野さんのCD、CDで聴けて良かったなって話だった。同時に、ストリーミングで聴いてる色んなアルバム、もっとしっかり、じっくり聞けタイミングもあっただろうなあ、と思った。そういう意味では、まだまだ本って価値を失ってないなあ、とか。

 別に、そんな色々考えなくても、楽しめればそれで良いのかもしれないけど。ただ、自分は波多野さんのCD聴いて、ストリーミングでも意識的に、しっかり聴こうと思った。自宅待機生活してると、環境が自分を律してくれなくなるから、自分で自分を律するしかない。その感じが、ストリーミングというか、今の時代と重なったりして。

 

 それでは!