あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

People In The Box「Kodomo Rengou」の歌詞を考える。

 2018年1月にリリースされた、People In The Boxのアルバム「Kodomo Rengou」について、歌詞の話を中心に考えてみる記事です。

Kodomo Rengou

 まずは、簡単にアルバムKodomo Rengouの紹介から。

 2018年1月にリリースされて、もうすぐ4年になるのか…と思うと早い。

 People In The Boxという3ピース(ボーカル・ギター、ベース、ドラム)ロックバンドがいるんですが、彼らがキャリアの集大成みたいな形で出したのがこのアルバム。

 活動時期は2007年頃からで、変拍子を多用したり、ガッツリとポエトリーリーディングが入っていたり、歌詞の描写が唯一無二だったり、ライブで「え、何でそれ弾きながら歌えるの?」ってなったり、ボーカル波多野氏がMCで話すと観客の頭上に???が浮かんで会場が静まり返る、などなど色んな個性がある。

 詳しく書くと本題に入れなくなるので、(そんな稀有な人はいないと思うけれど)もしPeopleをよく知らないけれど興味が沸いた方がいたら、紹介記事とかも前に書いてるので、そちらを参照して頂けるとありがたいです。

asakara.hatenablog.com

 話をKodomo Rengouに戻すけれど、最初に聴いた時、本当に集大成だなあって感想でした。逆に、ここからどう先へ進むのだろう?という(その心配は自作タブララサですぐに杞憂と分かる)

 「無限会社」みたいなギターロックもあれば、「報いの一日」「動物になりたい」では管楽器や弦楽器みたいなギターサウンドが鳴っていて、「世界陸上」のPeopleらしい複雑なリズム、「あのひとのいうことには」「ぼくは正気」ではアルバムWall,Window以降ギターと並んで使うようになった鍵盤のアレンジ、「夜戦」の壮大な展開とポエトリーリーディング、「かみさま」の素直で力強い曲調、等々。

 Kodomo Rengou以前のアルバムが、何かテーマを持って実験してきたものだとするなら、Kodomo Rengouはそれらの成果を1つの作品にした、みたいな印象だった。

 2018年当時に聴いたすぐの勢いで書いた感想記事もあります。

asakara.hatenablog.com

People In The Boxと物語

 Kodomo Rengou自体の紹介はその位にして、少しPeople In The Boxと物語性についての話を。

 People In The Boxの作品では、アルバム、ミニアルバムを通して1つのテーマを描く、という事が多い。

波多野「(合わせて〉というよりは、〈ふさわしいもの〉って感じですね。1曲目で言っていることが最後の曲と呼応しているか、していないかってことは僕のなかですごく大事で。その感覚っていうのは、具体的なストーリーというよりは印象の問題ですね」

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/16787?page=2

 ボーカル波多野さんがインタビューでも語っているけれど、特に最初の曲と最後の曲が、アルバム全体で大切な役割を果たしていることが多い。

 例えばミニアルバム「Ghost Apple」。

 そもそも、今回なぜこんな記事を書いてるかと言うと、最初はGhost Appleのことを考えていた。先日、関ジャムで両黄色社会の方が「月曜日/無菌室」という曲が大好きと話していて、自分も好きだったので、Ghost Appleを聴き直して改めて色々と考えててた。

 その結果、Ghost Appleに関してはまだ考えがまとまっていないけれど、何故かKodomo Rengouの解釈が浮かんできてまとまってしまったので、「よし、書くか!」となった次第。

 話が逸れたけれど、ミニアルバムGhost Appleでは、

月曜日/無菌室

火曜日/空室

水曜日/密室

木曜日/寝室

金曜日/集中治療室

土曜日/待合室

日曜日/浴室

 という感じで、1週間の流れをモチーフにしている。

 ただし、さらっと歌詞を読んでみてもイマイチ何が何だか分からない。ラストの日曜日を聴くと、漠然と「彼女」は死んでしまって、僕は生きてしまったんだなって理解できるけれど、細かい部分までは各々想像するしかない。正解は用意されてないし、歌詞について本人が語ることもない。

 あとは、アルバム「Family Record」では各曲に都市や国、場所の名前が付けられ、JFK空港の歌詞に「巡り巡って地球を一周したようだ」とあるように、世界を巡っているような印象を受ける。

 とにかく、作品として、アルバムを通して聴いた時に、リスナー各々に一つの物語が組みあがるよう、流れを大切にしている。Talky Organsの仕掛けも、最初に聴いた時は驚いた。

子供連合と「ぼく」と「きみ」

 ここからがやっと本題。

 Kodomo Rengouは、最初に聴いた時からずっと、上で書いたような物語性みたいなものとは別の作品だ思っていた。

 それは、Ghost AppleやFamily Recordみたいな分かりやすいタイトルのつながりも無いし、各曲の歌詞もそんなに繋がりを感じなかったから。People In The Boxの集大成としての作品で、「Kodomo Rengou」ってタイトルにも、そんなに深い意味はないのでは?って思ってた。

 そこから3年以上経って、Ghost Appleのことを考えながら、ふと「そういえばKodomo Rengouって何かアルバム通しての筋みたいなものあるのだろうか?」って考えた時に、ふと最近読んだ本のことを思い出した。 

 「地平線を追いかけて満員電車を降りてみた」という、紀里谷和明さんの、小説?なのだろうか。何人かの主人公が、本当の自分と向き合う物語。アマゾンのKindle Ultimatedにも入ってるので、加入してる方は是非読んでみると面白いです。

 そこで、「大人の自分と子供の自分」って話をしていた。大人の自分は理屈や理性で物事を考えるけれど、子供の自分は直感や感情で捉える。大人になるにつれて、「こどもの自分」が薄れていってしまう。何処かで失ってしまった、子供の自分を取り戻すために、自分の深いところと向き合う。そんな感じの物語。

 

 Kodomoって単語に引っかかってそれを思い出したのだと思うけど、それから、Kodomo Rengou、子供連合って「ぼく」と「きみ」のことなのでは?と思った。

 

 「ぼく」が子供の自分。感情や直感を大切にして、自由に生きている。

 「きみ」は大人の自分。理性や理屈に従って、周りや社会に合わせるように生きている。

 かつて、「ぼく」と「きみ」は同じ所にいた。一つだったのかもしれない。どちらも子供の自分。それを子供連合と呼ぶのなら、ある時から少しずつ「きみ」が大人の自分になり始めていって、子供連合は解消されてしまった。

 アルバムKodomo Rengouは、解消された子供連合が、再び「ぼく」と「きみ」が手を取って子供連合に戻っていく物語、だと思った。

 

 時々漢字で出てくる「僕」は、もっと俯瞰する視点なのかな、と思う。

 

 ここから先は、各曲の歌詞を参考に話を進めていく。 

各曲解説

1.報いの一日

どこへいった楽しい人

どこへいった優しかったあのひと

騒ぎのあとで

 アルバムの1曲目。自分の周りから子供が居なくなっていって、さらに「ぼく」と「きみ」との子供連合も解消されてしまう。そういう幕開けだと思う

翌日にきみは仕事を探した
ぼくは永遠の休暇に入った

 きみ=大人の自分 は、大人として生きる為に仕事を探し、社会へ出ていくことを決めた。一方、ぼく=子供の自分は、永遠の休暇へ入り、外へ出てくるのを止めた。社会では直感や感情だけで動いていては生きていけない。

 

2.無限会社

3.町A

4.世界陸上

ようこそ間違いの国へ

 無限会社~世界陸上は、社会へ出た「きみ」が何とか生きていこうとする序章の部分。名前の通り、終わりなく社会の為に働き続けていく。

ここは天国ではない ただのわが町

 最初「町A」を聴いた時に、「何でこんなに作り物の町っぽい感じがするんだろう?」と思った。例えば、空気公団ってバンドの描く街の風景の実感なんかとは全然違う。

 報いの一日で「実物大の都市の絵」って書いているけれど、それが効いてるのもあると思う。あとは、曲全体から漂う諦念。「きみ」は社会に出て、「まあ、こんなもんだよな」って毎日、それなりにアイムハッピーに生きている。

臆病な僕たちは 生まれたときから
勝ち続けなければいけない
細胞

 世界陸上をテレビで見ているようにも感じられるし、常に競争し続けて、走り続けていく様を描いているようにも聞こえる。

 ここまでがアルバムの序盤、「きみ」がそれなりに元気に生きている。

 

5.デヴィルズ&モンキーズ

6.動物になりたい

何もかも忘れさせて
踊る ヒッピーヒッピーシェイク

 ここから、少しずつ「きみ」は疲れていく。

ごらんよ 空き物件の屋上からの一面の炎

ほらごらん、歴史は栄えあるハロウィン
終わりなきトリックオアトリート
さよなら、ハロウィン

 この曲の、「ごらんよ~」からの展開が大好き。

 社会で生きるのに疲れてきた「きみ」は思う。何もかも忘れさせて。でも、そんな時間は長く続かない。さよなら、ハロウィン。

言葉をすててしまいたい
どきどきしているだけの食いしんぼうな生き物
動物になりたい

 言葉を持つ、人同士が関わると必ず傷付くことがある。傷付けてしまうことがある。社会で生きていく、大人になるというのはそう言うことかもしれないけれど、段々疲れて来た。

 

7.泥棒

8.眼球都市

 最初、この2曲の意味が良く分からなかった。泥棒のおどろおどろしい感じ、眼球都市の人工的と言うか、機械的な感じ。

 だけど、今までの流れを考えると、この2曲がここで登場する必然性が分かる。

 物語も後半に入って、「きみ」はいよいよ壊れてくる

責任くんたち格好いいな
責任くんたちやたら強いな

 泥棒でこれまで抱えてた不満が一気に溢れ出てくる。

ノイローゼ/治療/処方
オレンジ/空はシアニド

 眼球都市、曲の音像も機械的だけど、歌詞も人間味が無くなってくる。

 疲れ切った「きみ」は、いよいよ人間的な部分、感情や直感をほとんど失くしてしまう。

9.あのひとのいうことには

 ここから物語も後半に差し掛かる。

 眼球都市とは打って変わって、人間味のある、やさしい歌詞になっている。

いかれた猛獣使い
噛みつかれたら抱きしめかえすの

 あのひと=「ぼく」なのか、子供の自分を持っている誰かなのか。

 とにかく、疲れ切った「きみ」は、ある時やっと自分の進んでいる道は違うのでは?と気付く。社会に合わせて生きていくのは、本当に正しいのだろうか?と。

傷付くことに夢中だった
でもどういうわけか今日も
生きてる

 

ねぇ、きみはほんとうに知ってた?
この完璧ではない世界で
人生って一度しかないこと

 傷付くことに何の疑問も無く生きて来たけれど、ほんとうにそれで良いの?二度と、繰り返すことのできない人生で、「きみ」はそれを選ぶの?

 

10.夜戦

 決意の歌。物語の終わり。

夜空に触れる 僕らの靴
堕ちていくよ きみのもとへと
もうまにあわないかもしれない

 この夜戦、という歌、物語の上では「きみ」が子供の自分を取り戻すことを決意したって歌詞だと思う。

 さらに、「僕らの靴」ってフレーズ。

 「ぼくら」ではなくて、「僕ら」

 これは自分の願望も入っているけれど、この僕ら=People In The Boxかな、と思った。きみ=大人の自分でもあるし、リスナーのことでもある。

 もし、君が決意するなら、People In The Boxはいつでもそこへ堕ちていく。もうまにあわないかもしれないけれど。君が決意するならば。

 

11.かみさま

 エンディング。

 アルバムは12曲あるけれど、実質のエンディングはこの曲だと思う。

youtu.be

 映画で言うと、夜戦がラストのクライマックスシーンで、かみさまがエンディング曲、というイメージ。

 この曲は「ぼく」と「きみ」が子供連合だった時の歌なのか、決意を決めて子供連合に戻ったのか、その解釈はどっちでも良いと思う。

 今までの流れを考えると、夜戦で「もうまにあわないかもしれない」って歌ってるのが最高だ。その後どうなったのか、どうなるのかは分からないけれど、「きみ」の決意で物語が終わって、エンディングへ。

 インスタグラムで波多野さんが、と言うかウサギのトム君が語っていたけれど、この曲だけアルバムの他の曲から切り離されてる感じがすると。

 確かにそうで、かみさまは時系列的にずっと前か、ずっと後か。

 そもそも、本当の子供の頃には「ぼく」達、周りにいる皆も全部子供の自分で生きている「ぼく」達で、本当の意味での子供連合だった。

 それが、いつからか「ぼく」と「きみ」が分かれてしまって、社会には「きみ」達が溢れていく。

 だけど、決意を決めたなら、People In The Boxはそこへ堕ちていく。そういうリスナー一人一人の「ぼく」が集まることによってできる子供連合、って意味もあるのかもしれないと思った。

 

ぼくは正気とエピローグ

 アルバム最後の曲。映画で言うと、エンディング後に流れるエピローグみたいなイメージ。

真昼でも暗い森のなか散策するたびに
もう二度とは取り戻せないぼくに会うのさ

 この曲の時系列は、報いの一日より前なのかな?と思ってる。その方が好き、というだけなので、全然確証はない。個人的に、夜戦で物語が終わったら最高だなと思ったので。もしくは、アルバムのテーマとして、時系列で言うと最初から最後までずっと、他の曲と同時に存在してたという事でも良いかも。

安い狂気に甘んじていかれたふりするたびに
きみは深い暗い森へと踏みわけいっていく
こわくない深い暗い森のなか

 「ぼく」がすっかり居なくなってしまった後でも、「きみ」がふと自分のなか、奥底を探索した時に出会うことがある。

 その「ぼく」が正気で、「きみ」は狂気だと。 

 

おわりに

 前に自分の書いた感想を読んでいたら、当時波多野さんが「このアルバムはフィクションだ」と何度も言っていたという。覚えてないけど、多分言っていたのだと思う。

 だとしたら、波多野さん自身はずっと「ぼく」を持ち続けて来たから、「きみ」の物語を描くのはフィクションになる、って意味かもしれない。

 あとは、「きみ」=大人の自分が悪い、という事でもない。バランスの問題で、どちらも必要だ。ただ、作品として「ぼくは正気」って言い切ってる所は凄いなと思った。そこを踏まえてのフィクションなのかもしれない。

 

 と、そんな感じで長々書いてたら6000文字を越えてた。久々にPeople In The Boxのことをガッツリ書いて楽しかったです。

 あくまで、一個人の感想なので、こういう解釈もあるよ、という程度で思って頂ければ。

 

 それでは!