あさから。

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継承されるありふれたトラの水浴び / 波多野裕文 の考察。

  先日9月12日にPeople In The Box波多野さんの配信ライブがあり、未リリースの楽曲中心に演奏された。これまでのライブでも何度か演奏されている、「継承されるありふれたトラの水浴び」という曲について、考えがまとまったので少し書いていきます。

配信ライブ

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 先日、9月12日に配信されたライブ。仕事中だったのでリアルタイムでは見れなかったけど、アーカイブ残してくれていて本当に良かった。

 前半で演奏してる波多野裕文氏について少しだけ説明しておくと、People In The Boxって言うスリーピースバンドのVo&Gtで、最近は結構鍵盤も弾く。ソロアルバムも出していて、あとはウサギを飼ってる。

 バンドのライブとはまた違う、鳴ってる音のすべてを自らコントロール出来ることで、より表現の濃度が高い感じが魅力。

 ちなみに、前にも一度同じ所で配信ライブやっていて、その時も今回演奏した曲の幾つかを演奏してる。

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 前のライブでは、いつも使ってる白いテレキャスターで弾き語ってるけど、今回は見たことないハムバッカーのギター。多分コロナの期間中に入手したっぽい。

新曲たち

 今回書くのは、継承されるありふれたトラの水浴び、という楽曲について。

 最初に披露されたのがいつか分からないけれど、去年、コロナ禍のライブハウスを支援するのにクラウドファンディングが行われていて、その特典としてこの曲と、イラストを送るって言う企画をやっていた。タイミングを逃して、それは手に入れ損ねてしまったけど。

 そのほかにも、波多野さんのソロライブで演奏された未リリースの曲は沢山ある。

 今回のライブでも「猛獣大通り」「灯台」「楽園」は音源化されていない。何度も演奏されてきてるから、未リリースだけど「あ、この曲好きなんだよな」って既に名曲感が漂ってる。

虎と嘘と、ありふれた話

 ここから本題。継承されるありふれたトラの水浴び、について。一応、今回のライブ映像では17分36秒辺りから、前回のは2時間23分23秒辺りから。

 大雑把に言うと、「自分の殻に閉じこもっている人に、少しだけエールを送る」感じの曲なのかな、と思った。

 まず、タイトルについて。

 「ありふれたトラの水浴び」とあるけれど、恐らく「ネコ科の動物は、水嫌いが多い」と言う所から来てる気がする。

 トラ自身は、水浴びをする自分は特別な存在と考えているけれど、本当はなんてことない、ありふれた話だよ、という。

君が今日まで上手く避けてきた話は

かつてこれまで受け継がれてきた話だ

変な家族や坊やを起こした日のこと

ありふれた話は人を飽きさせてしまうだろう

 君が避けてきた話。話すのを躊躇うようなこと。自分の中で抱え込んで、「こんなことはきっと自分だけ、自分は特別なんだ」と思うようなこと。

 それは大抵、なんてことのない、良くある話だ。

 「上手くふざけてきた話」なのか、「上手く避けてきた話」なのか、聞き取りに迷ったけど、文脈はどっちでも通りそう。

変わった形の傷に一喜一憂する

正しく良き人々を君は待っている

 

頑張ったね今日まで

よくやってこれたね

そう言ってあげることは誰にでも

出来るけどそれで良いの?

 こんな傷は、こんな痛みは、こんな経験はきっと自分だけ。だから、慰められるべきだ。「頑張ったね」「よくやったね」、そう言ってくれるのが正しく良き人なんだ。

 だけど、本当は大体がありふれた話。皆それぞれ、少しずつ形の違う傷を持っている。

平気で嘘つくのは彼らも君も同じ

 自分の殻にこもった「君」は、「自分」と「彼ら」を全く違うものと思ってる。

 自分は特別で、彼らはありふれている、と。だけど、本当はそんなに変わらない。

 ここで言う「嘘つく」は、ありふれた話を特別なことのように話す、とか、大げさに語る、とか。或いは、「自分に嘘をつく」ということかも。「彼らは皆嘘つきだ」というかもしれないけれど、君は本当に自分に対して嘘をついてないと言い切れる? 

 歌の語感で「うそ」って響きになった部分も大きいと思うけど、色んな解釈の幅が撮れる言葉。

考え過ぎた挙句 興味を失う

それ位が丁度いいと 人はそう言うのに

魂を支配して離れないと

また燃えてしまいそうなら

水を撒いてあげよう

 怒りとか、悲しみとか、やりきれないこと。どうしても忘れられないこと。君が今まで避けてきた話。ありふれた、それでも、君にとってはとても変わった形の傷のこと。

悲しいのはただのエラー

彼らも君も同じ

 「悲しい」って言うのはただの感情で、何かのホルモンが増えたり減ったりで起きてる減少。機械がエラーを起こすように、人は悲しくなったり、消えたくなることもある。

 それは、「彼ら」も同じ。君が「この人には分からない」っていつも思うような人たちも、色んなエラーを起こす。

だが君は越えてゆける

両手を組むにはまだ早い

君だけが言えそうな

意味不明な嘘だったならば

そう悪くはないかもね

 そして、最後に少しエールを送って終わる。

 「君」はありふれた話をとても特別なもののように思って、避けてきたり、大げさに語ってみたりするけれど、何処まで行ってもありふれた話だ。

 だけど、もっともっと意味不明な嘘なら。

 君が内心「こんなこと話したら馬鹿にされるかも」って思うようなこと、それすらきっとありふれた話だ。

 「君だけが言えそうな意味不明な噓」は、君にとっては心の底から真実だけど、それ故に周りからは意味不明に思える、そういう事かなと思った。例えばドン・キホーテみたいに。

 あと、関係無いけれど、BUMP OF CHICKENの「グングニル」を思い出した。

そいつは酷い どこまでも胡散臭くて安っぽい宝の地図

でも人によっちゃ それ自体が宝物

「こいつは凄い財宝の在り処なんだ」

信じ切った彼もとうとう その真偽を確かめる旅に出るとする

誰もが口々に彼を罵った「デタラメの地図に目が眩んでる」って

容易く 人一人を値踏みしやがって

世界の神ですら 彼を笑う権利なんて持たないのに

詩と歌詞

 詩と歌詞の一番の違いは、歌と言葉が一緒に入ってくることだけど、People In The Box、波多野さんの歌詞はとりわけそれを強く感じる。

 この曲でも、この2番サビからラストにかけての流れ。歌詞を読んだだけだと、結構淡々として見えるけれど、曲を聴くとをかなり声を張り上げて強く歌ってる。

 最後のサビでも、「だが君は~」から同じ様なメロディを繰り返して、溜めに溜めたところで「そう悪くはないかもね」が響いてくる。文字を読んだだけだと淡々としているけれど、歌が一緒に入ってくることで心の奥底から希望の湧くような感覚になる。

 もし、詩の時点でもっと強い、希望を感じる言葉が並んでいたら、歌を乗せた時に強すぎるというか、それまでの曲の流れに対して「急にどうした?」ってなりかねない。

 強く歌う為に、言葉を弱くする、っていうバランス感覚が絶妙。

 

 あと、今回歌詞考える上でこちらのブログ記事参考にしていました。

osouonna.hatenablog.jp

 多分まだ未完成形?の歌詞が書かれていて、そこから語感、言葉の響きも含めて少し変わっていったこと、大づかみでの言いたいことは変わっていないだろう、という感じでとても参考になりました。

 記事自体もとても良いので合わせて是非。

 

 そんな感じで久々に歌詞について考える記事でした。「猛獣大通り」も好きな曲なので、その内書けたら。あと、早く2ndソロアルバム出して欲しい。

 それでは!