あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

環境音楽を聴いてると落ち着く。

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 最近、メロディやリズムのある音楽を聴くと疲れてしまう事が分かったので、Youtube環境音楽を検索して聴いているのだけど、なかなか落ち着くことが分かったので、その紹介。

 

 

 環境音楽




 
 環境音楽 - 朝の音


 かつて、空気公団の山崎ゆかりさんも一時期「朝の音」を毎日録音していたらしい。そのせいか、空気公団の曲には「朝」と付くタイトルが多くて、朝をモチーフにした曲も多い。

 環境音楽、と言ってもほとんどは何処かの環境で鳴っている、自然の音を録音して編集しただけのものだ。
 「それって音楽なの?」と思うけれど、音楽でいいと思う。

 例えば写真家、或いはDJ、ノンフィクションの映画監督など、自分で何かを作りだすのではなくて、既にあるものの一部を切り取って、自分の見方、自分の思う良い物を伝えるという表現方法もある。

 そう言う意味では、環境音楽は十分音楽なのだと思う。


 

 おと風景 - パリのカフェの音


 Youtubeの「おと風景」というチャンネルでは、結構色んな環境音楽を配信していて、例えば上の音声を聴いてると「海外のカフェにいる感じ」がする。日本のカフェの音声もあるのだけど、微妙に会話が聴き取れそうでちょっと落ち着かなかった。

 この前の記事で、「音楽には映像的なことを描く力がある」と書いたけれど、環境音楽もその一つの到達点みたいな所がある気がする。




 環境音楽 - 静かな森


 森の中。こういうのも分かりやすく自然の音だけど、例えば街中を歩いている時の音も自然の音だと思う。
 
 外を歩きながら自分の足音と、人の足音と、信号機の音とかクラクションの音、工事現場の音等々が一斉に聞こえてきて「何か良い感じに合わさってるかも」と思った時に、「これも音楽でいいよな」と思うことがあった。

 「映像的なこと」をずっと追いかけて行くと、多分最終的に自然の音には勝てなくなってしまうのかもしれない。だから、リズムもメロディも色んな感情に触れられるようになってる。

 じゃあ、ドビュッシーは何を考えていたのだろう、と思った。もし当時高度な録音機器があったら、彼の表現も変わっていたのだろうか。それとも、やっぱり自分の中にある世界を描きたいと思っただろうか。




 環境音楽 - 雨の音



 「醜いと美しいを分けるのは、なんですか」
 栢山が言うと、スピーカーからアナウンスが唐突に入った。運転再開、間もなく電車が参ります。目を戻すと、五十鈴は諦めたように、悟ったように、笑んでいた。
 「醜いものをたどっていくと、いつも自分にたどり着く」

 -青の数学2 (王城夕紀)