王城夕紀「天盆」感想。
王城夕紀先生の小説「天盆」の感想です。多少のネタバレを含むので注意。あと、書きながら「青の数学」の場面が勝手にフラッシュバックしてきて、その話がそこかしこに出てきます。
天盆
2014年刊行の、王城夕紀先生のデビュー作。僕は「青の数学」を読んで、「この人の考え方、言葉の使い方、全部好き」って思って、その次に読んだと思う(マレ・サカチが先かも)。2017年7月に文庫版が出てて、自分の持ってるのもそっち。
簡単にあらすじを紹介すると、「蓋」っていう、架空の国、古代の中国だと思うけど、で「天盆」って言う将棋みたいな盤戯が行われている。毎年、蓋の国の中で最も強い天盆士を決める大会が開かれていて、そこで優勝すると、国の政に関わることさえできる、と言う位、天盆は重要視されている。ある時、「凡天」という少年が天盆と出会い・・・という感じ。
疾走感
何が良いって、疾走感がある。王城先生自身も「ドライブ感」みたいなことを、確かツイッターで語ってたような。とにかく、スピーディで、カラっとしていて、気持ちが良い。以前、ツイッターで「亜人」って漫画のことを話されてて(王城先生は1日1ツイートしてます)、「もっと悲壮的な話にも出来うる所を、誰も泣き言を言わない。作家としての格を感じる」的なことを言っていた。ずいぶん昔なので、うろ覚え。
それに近いことを感じる。とにかく、「精神的に」じめっとした部分が、1ミリたりとも登場しない。現象として、状況的にはそういうこともあるけど、出てくる人たちの内面的な部分で描かれる、ということは全くない。
詳しくは書かないけれど、王城先生の作品全体を通して、その傾向が強いかもしれない。今の所、多分読める小説は全部読んでるはず。「青の数学」「マレ・サカチのたった一つの贈物」「天盆」「ノット・ワンダフル・ワールズ」「グッドナイト、キャピタリズム」「ホープ・ソング」で6作。後の3つは短編。「ノット・ワンダフル・ワールズ」は伊藤計劃トリビュートということで、少し他のと毛色が違うけど、どれもカラっとしてて、気持ちが良い。
宿る命
天盆、というか王城作品の魅力の最たるところだと思うけど、「台詞に命が宿ってる」ってこと。青の数学では、主人公の栢山君が悩み、進んだ。天盆では、主人公の凡天は悩まない。
「勝つのは簡単だ」
翁は二秀を見上げる。
「それを最も愛する者が勝つのだ」
物語中盤の一節。凡天には、実の両親がいない。同じように実の両親のいない子たちを集めて、少勇と静の夫婦が家族として暮らしている。凡天は11人目の子。
その上から2番目の二秀が、兄妹の中では一番天盆が強くて、凡天と一緒に大会に出るのも二秀だけだ。彼は、人間的には素晴らしいのだけど、定職に就かず、天盆で高みを目指している。それによって、家族を幸せに出来るとも信じている。が、途中、「勝つこと」に悩む。自分はなぜ勝てないのか。勝つとは何か。
天盆の中で、凡天に代わって悩み進むのが二秀だ。ただ、主人公では無い分、青の数学よりもその割合は少なくて、その結果スピード感、ドライブ感、疾走感に拍車が掛かってる。
二秀と、勝つこと
一番好きなエピソードは、二秀と、最強の天盆士「永涯」の対局。
いつか、未知へと踏み出さなければならない。
二秀と凡天は、物語の中盤、とある翁に出会って、さらに一段階天盆の腕を磨くことになる。その翁が言う。どれだけ読み合い、あらゆる天譜を研究しつくしたとしても、いつか未知の領域へ踏み出さなければならない時が来る。
「分からぬとは苦しい。分からぬまま進むとは苦しい。それでも、分からぬことを恐れずに飛び込めるか」
「理由がなきゃダメなのか?」青の数学でも言っていたテーマ。勝手に、先生が「小説を書く」って言うことを通して感じた苦悩、不安を全てのこと、ひいては生きることにまで広げて書いているように思う。
永涯は最強の天盆士で、二秀は打ち始めた瞬間から、それを感じ続ける。圧倒的な強さを。しかし、勝てないとも思わない。力の差は認めるが、力の差が分かる程度には、自分も腕を磨いている。それが嬉しい。
「勝てないと分かっても、挑む」「勝てないと分かってるなら、尚更挑む」青の数学で何度かそんな言葉が出てきた。「登山家は、どうして山に登るのか?」そんな問いも出てきた。その問いの答え、栢山君の答えは青の数学2に出てるので、是非。
全ての駒に意味がある
さて、いよいよ文章がまとまらなくなってきた。
最後に、昔ツイッターで先生に「今までの作品の中で、一番自分に似ていると思う登場人物は誰ですか?」と聞いたことがある。
「少勇でないことだけは確かです(勤勉アピール)」「新刊出していない分際でか」 考えてみるに、どの人物も、架空のパイ生地に自分を小さくちぎって投げ込んでいるのではないかと(違うやり方があるのだろうか)。
って返して頂いたのだけど、それでなのか、他の作品でもキャラクターを通して、理想だったり信念が描かれてる。
「全ての駒に意味があるのか」
不要な登場人物が一人もいなくて、先生が全員を愛して書いているかは分からないけど、少なくとも人として敬意を持って描いているように感じる。それは、天盆に限らず、どの作品でも。
時々、「物語を演出するためだけに出てきたキャラクター」が登場する小説があって、それが良いか悪いかはさておき、嫌いだ。「記号としての嫌な奴」とか、「死人が必要で出てきた人」とか。それで面白くなっている物語も確かにあるんだと思うけど、個人的な好みの問題。小説であっても、人を軽視しないでほしいな、と思う。というか、そう言う所に、無意識で作家の考え方が出てくるはず。
そういう意味で、もちろん掘り下げ方に差はあるものの、とにかく人の描き方が素敵で、だからこそ、言葉に力があるのだと思う。
おわりに
そういえば、People In The Boxの波多野さんが、最近ブログのQ&Aで「同じ本を何度も読む」と仰ってたけど、僕もその傾向があって、好きな作家の本は繰り返し読んでしまう。きっと、物語の面白さも大切なんだけど、それ以上に、その作家の語る言葉とか、想いに触れたいのだと思う。王城先生の本は、ここ3年の中だと一番繰り返し読んでるかもしれない。次点で宮下奈都さん。
色々書いたけど、とにかく誰が読んでも面白いはず。「歴史が苦手」って人でも大丈夫。僕がそうだから。それでも読み始めたら止まらないレベルだったので、コロナで家に籠ってる方は是非。籠ってなくても読んでほしい。
それでは!