あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

宮下奈都の描く物語の魅力は「あきらめ」だと思う。けれど、

f:id:noame:20170330190753j:plain

 宮下奈都先生の小説が好きで、幾つかの作品は感想も書いてる。読んでいて、共通して思うのが「あきらめ」を感じること。それは、ネガティブなものじゃなくて、優しくて希望に満ちている。そんなことを、少し書いてみます。

 あきらめ

「青春ってのは、何かを諦めるまでの季節のことだ。」

王城夕紀 - 青の数学2

 いきなり、宮下先生と関係ない文章の引用から入ったけれど、書きたいことがあったので。自分が宮下先生の「羊と鋼の森」「よろこびの歌」を読んだのと、王城夕紀先生の「青の数学」を読んだ時期がほぼ同じ頃で、凄く対照的な描き方だと思った。

 大人になることは、色んな事を諦めていくことでもあると思う。王城先生の小説は、常にその「あきらめ」の一歩手前を描いていて、「予感」「始まり」みたいなものを感じる。一方で、宮下先生の作品では、必ず、「何かを諦めた後」から物語が始まる。

 ひとつの物語の中でも、次々と始まりを描き続ける王城先生の小説と、終わりから始まる宮下先生の小説。偶然同じ時期に出会ってしまったから、どうしても、自分の中で関連付いてしまう。二人とも、大好きな作家だ。

 そして、宮下先生の描く「あきらめ」は、凄く優しい。

 例えば、「羊と鋼の森」の主人公、外村君の調律の才能に対する諦め。それは、「そんなものあっても無くても」と言って進む力になっていく。

 或いは、「よろこびの歌」に登場する少女たちの、それぞれの抱えて来た諦め。歌の才能だったり、家庭事情だったり、熱中してきたものだったり。きっと、その人のことを描くために、「その人が今まで何を諦めて来たのか」ってことを考えていくのだと思う。どうでもいいことなら、そもそも諦めるなんて表現はしない。その人にとって大切なことだったからこそ、諦めて、心に何かが残って、それがその人を作っていく。

 だから、宮下先生の登場人物の描き方は少し変わっていて、「具体的で、ちょっと変な、何かを諦めたエピソード」が出てくる。「静かな雨」なら、重力のことを考えて熱が出たり。

 

ほんの少しだけの

 そうして、色んなあきらめが描かれるのだけど、それがネガティブな意味のまま終わることが、決してない。そこが宮下作品の魅力だと思う。「何かを諦めることは、決して悪いことじゃない」って言うメッセージにも聞こえる。そういえば、「たった、それだけ」という小説のテーマは「逃げても良い」だった。

 何かを諦めて、その瞬間はとてもつらいかもしれない。一度、底へ落ちるかもしれない。けれど、そうして底へ落ちて、初めて気づくこと、出会えることがある。そういう希望を宮下作品からはすごく感じる。だから、好きだ。

 ほんの少しだけの希望。それは、もしかしたら数秒間の後に消えてしまう感覚かもしれない。だけど、ほんの僅かな間でも、そういう感覚、世界が何処までも広がっていけるような、そんな感覚が存在することは、間違いなく本当だって、静かな強い意志を感じる。宮下先生の小説、読んでいて柔らかいし暖かいし面白いけれど、根底に強さがあって、その正体がきっとその意志なのだと思う。

 

 そんな感じで、宮下奈都先生の小説の魅力の一端を書いてみました。他にも「登場人物への憑依の仕方がすごい」とか、「情景描写の柔らかさがすごい」とか、色々あるけれど、自分の思う一番は「あきらめ」だと思う。また、その内続きを書くかも。

 

それでは!