あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

宮下奈都「よろこびの歌」は、全ての音楽好きに読んでほしい小説。

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 現在、映画「羊と鋼の森」が公開中。その原作者、宮下奈都先生の「よろこびの歌」が、音楽好きな人に響く本だと思うので、書いてみます。多少のネタバレ注意。

 感想では、なく。

 今回書こうと思うのは感想ではなくて、思ったことというか、それって感想なのだろうか。とにかく、感想は以前1度書いてるので、気になる方は、そっちを読んでみてもらえると良いかもです。

asakara.hatenablog.com

 全7回。長いので注意。書いてた時のこと、あんまり覚えてないけれど、多分ノリノリで書いてた気がします。続けて、「終わらない歌」の感想も書いておけば良かったなーと思う。その内、勢いに乗って書ける瞬間が来たら書きたい。「よろこびの歌」の続編で、こっちも同じくらい素晴らしい作品。

 宮下先生のエッセイを読むと、続編を書きたい(読みたい)という気持ちと、「20代にだけは戻りたくない私が、20代の彼女たちを描くって言うのは結構な大問題である」みたいなところで揺ら揺らとしている感じらしく、期待せず、気長に待っていようと思う。

 

歌うこと、演奏すること

 ここからが本題。小説「よろこびの歌」は一応「合唱」を中心に据えて、女子高の少女たちの成長を描いていく物語。

 6人の主観で描かれるから、主人公が6人いる形にはなるけれど、メインの主人公が「御木元玲」という、声楽を志す女の子。宮下先生の描く「あきらめ」を分かりやすく表現したような子で、音大の附属高校に落ちて、音楽に対する気持ち、色んな希望を失くした状態で、普通科の高校に入ることになる。

 そんな玲がちょっとしたきっかけで合唱の指揮を任されることになる。その、最初の発表会は完全な失敗に終わるのだけど、そこから物語が始まる。一人一人、バトンを渡すように主観が切り替わりながら物語が進む。そして、最後にまた、玲に戻ってくる。

 その、最後の物語「千年メダル」で、彼女がものすごいことを語る、というか思う。長いので3分割して引用。

 歌だけが素晴らしいなんてことはない。人格者でなければ歌えないわけでもない。私みたいな女子高校生にも歌うことができる。それが誰かの胸に届くかどうか。届くとしたら、どんなふうに響いてその人の胸を揺さぶることができるか。それを知りたい。

 

 揺さぶるのが目的なんじゃない。でも、私の歌を聴いた人の胸が揺さぶられたらどきどきするだろう。勝手に揺さぶられてよ、というのとは違う。だって、みるみるうちに顔が赤く染まったり、思わず笑顔になったり、逆に目に涙をためたり、呆気に取られたりしている人の顔を見るのはすごく励まされる。そう、励まされるのだ。

 

 私の歌がすごいんじゃない。私の歌で誰かのどこかを揺さぶる、つまり誰かのどこかに揺さぶられるものがある、ということに希望を感じる。胸が震える。うれしいとか、楽しいとか、悲しいとか、さびしいとか、いろんな気持ちをみんなが抱えている。歌によって共有することができる。

宮下奈都 - 「よろこびの歌」

  是非、物語の流れで読んでほしい部分だけど、最初に読んだ時から、今でも時折この部分だけ読み返したりする。その位、「すげーな」と思った文章。宮下先生は考え抜いて引き出したのか、ふと思い浮かんだのか、常日頃から思っていたのか。いずれにせよ、こんなに音楽に対してバシッと決まる表現を他に知らない。

 「歌が素晴らしい」訳じゃない。「心を揺さぶりたい」訳でもない。でも、歌を聴いて、「勝手に揺さぶられれば?」という訳でもない。聴いている人の心が揺さぶられる、それを感じたら、歌っている方も嬉しい。それは何故だろう。揺さぶりたい訳じゃないのに?

 それに対してのひとつの答えが、3分割の最後の文章。「自分の歌がすごい」訳じゃない。「それを聴いて、誰かの心が揺さぶられること」に希望を感じる。それは、「一人じゃないんだ」っていう気持ちにも似ていると思う。自分の精一杯歌った歌が、その形のまま誰かの心に届いて、何かが伝わってくれる、っていうことがすごい。

 

 少し、脱線

  少し話は変わるけれど、空気公団というバンドのボーカル、山崎ゆかりさんが昔「ライブは不毛です」と言っていたらしい。それは、何となくわかる。「ライブをする理由」が、空気公団の音楽を考えた時に分からなかったのかな、と思う。

 或いは、People In The Boxというバンドのボーカル波多野裕文さんは、時々「観客じゃなくて、音楽の為に演奏する」と言っている。「観客のために演奏することで、音楽に濁りが生じる。だから、音楽の為に演奏することが、本当の意味での観客に対する誠意だ」みたいな意味だと思ってる。それは感覚的に分かるのだけど、「どうして濁りが生じるんだろう?」みたいんことも思っていた。「伝えたい」って言う思いは間違いではないと思うけれど、それ自体が何か濁りになってしまうことはきっとある。

 そんな疑問に対しても、上の文章は一つの答えになってくれる気がする。どうして歌うんだろう、とか。どうして演奏するんだろう、とか。曲を作るんだろう、歌詞を書くんだろう。それはきっと、絵でも詩でも小説でも、漫画でも。何かをした時、それを受け止めてくれるものが、何処かの、誰かの中にあること。そこに希望を感じるし、それを信じているから続けられる。

 

 思い出すこと

 以前、結構小説の感想を書いていて、最近も何冊か読んだので書こうとしたら、「あれ、どうやって書くんだっけ?」と思い出せなかった。それで、リハビリ的な感じで、以前一度書いたことのある作品を、少し変えて書いてみた。なんとなく、思い出せた気もする。普段、一度文章書いたら、読み返すことは少ないのだけど、思い出しがてら読んでみようかと思った。ちょっと怖いけど。

 

 そんな感じで、宮下奈都先生の「よろこびの歌」の紹介でした。夏休みとか、夏季休暇とか、時間ある方は是非読んでみてほしい一冊。特に、2話目の「カレーうどん」がおススメです。

 

 それでは!