あさから。

本の感想、音楽の話、思ったことなど。

王城夕紀「ホープ・ソング」感想。

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 自宅待機生活10日目。今日は小説の感想。

 ホープ・ソング

 今日、ツイッターで王城先生が「民衆の歌」を歌った動画をシェアしていた。ホープ・ソングのことは、最近書こうとは思ってたけど、「このタイミングだ!」と思ったので、今日更新。作中にも、その歌が登場する。

 文春文庫から出版されてる、「走る?」っていうアンソロジー小説の中の一篇で、ホープ・ソングは16ページしかない短編。今まで発表されてる王城先生の小説の中でも一番短い。

 だけど、その短い中に魅力が詰まってるので、むしろ最初に読んでもらうのには最適かもしれない。

 

あらすじ

 舞台は、近未来の世界。身体に備わっている細菌や、自らの細胞を書き換えることで、身体能力、病気への耐性、精神などあらゆる面の能力を向上させることが、もはや常識となっている社会。そこで行われる競技では、殆ど全ての参加者が「デザインド」となっており、肉体に手を入れていない「ネイティブ」は、ほぼ居なくなっていた。

 そんな中で、何故か頑なにネイティブのままに、10000m走を走る、荒木という男がいた。主人公の記者は、何故彼がネイティブを貫くのか、不思議だった。

 

 デザイナーベイビー、は最早SFの世界では無くなりつつあるし、数えきれないくらいにそれを題材にした物語は存在する。

 だから、この物語の魅力はそこにはない。以前、天盆の感想でも書いたけど、王城先生の物語は登場人物への敬意で溢れてる。

身体は前しか見ない。
身体はいつだってポジティブだ。
絶望するのはいつだって頭だ。

 短いがゆえに、引用増やすと確信に触れすぎてしまうから、この位にしておく。

 登場人物の語る言葉に血が通っている感じ。そして、希望の描き方が美しい。それは、青の数学でも、マレ・サカチでも、天盆でも。王城先生の描く希望は、美しくて、カラっとしていて、力強くて、優しい。

 それを、僕が言葉で説明しても伝えられないけど、16ページの小説を読めば伝わると思う。

 

王城先生と、問い

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 私たちの身体は叫んでいる。生きている。死にたいと思うのは、いつだって頭だ。絶望も不安も、全て頭の中の出来事だ。身体は、どんな時でも、生きたいと叫んでいる。

 

 思えば、王城先生の物語は毎回大きな問いを持っていた。

 青の数学では「今、自分のやっていることに価値はあるのか?」

 マレ・サカチでは「いずれ別れるのに、出会うことに意味はあるのか?」

 天盆では、「勝つとは何か?」

 

 天盆のラスト、彼らは勝ったのか。坂知稀はその運命を本当に受け入れたのか。栢山君の出した答えは、ブレずに続けられたのか。

 それは全部分からない。物語はもうその前で終わってるから。そんなことはどうでも良い。ただ、ある瞬間、それが例え瞬き1回分だったとしても、希望の光でシャッターを切れる瞬間は存在する。必ず存在する。

 王城先生が、物語のラスト、そこに照準を合わせて描き続けてくれていることに、物語に触れるたび感動する。

 ホープソングもそう。「勝てないと分かってて、何故その身体で走るのか?」

 

 タイトルにあるように、希望の物語に触れてほしい。そして、王城先生はいつになったら新作を出すのか。それも、分からない。

 

 そんな感じで、短編の紹介でした。

 

 それでは!